ヴィッセル神戸を考える(従前の記事は楽天とヴィッセルをご覧ください)
02年に神戸市がヴィッセル神戸の経営から撤退し三木谷に譲渡した。譲渡条件に「カラー変更」が明文化されなかったため、楽天カラーであるクリムゾンレッドにカラー変更された。08年の時点で見れば、三木谷に「揺らぎ」があったと思われる。時代の変化とともに、企業も変わらねばならぬ。だが、三木谷のもたらした、あの混乱は異常なものであった。私は、これは三木谷になんらかな問題があるのだろうとにらみ、様々に分析してきた。三年越しにTBS問題を解決できないように三木谷に経営者として問題がある。まず、この「假面の告白」を見ていただきたい。次に「三木谷がクリムゾンを好む訳」があります。
「三木谷がクリムゾンを好む訳」(一橋大学での講演による分析)
假面の告白(三木谷研究)
この論考は、2004年の三木谷によるヴィッセル神戸のチームカラー変更を端緒にしたものである
三島由紀夫の自伝的小説「仮面の告白」には、矢に射られた聖セバスチャンの絵を見て初めて射精を経験するという場面がある。この言葉から三島が何を意図したのかを考えねばならない。人間は心の真実は語らず、願わしい現実を語りたがるものだからだ。
「書かれざる「虚と実」の原風景」(月刊現代、三木谷研究)を読んでみて、これは「仮面の告白」と同じではないかと思った。普通、インタビューに応じるときは、書いていいこと悪いことを確認してやるものだが、わざわざ過去の愛人など持ち出して現実性を出そうとしているのでそう思ったよ。「10/27 仕組み狂言(週間文春問題)」で私は彼がわざと、二千万円豪遊と言う記事を付け足したのではないかと想像したが、同じパターンである。
確か、彼のことを「ミスターホワイトボード」といった人ではないかな。言葉だけで、手を出さなかったとしたら、見事に彼を言い表してる。私は彼のことを、「シャイ」な男だと見ているのだが、虚と実、近松(浄瑠璃作家)の虚実皮肉論によれば真実と嘘は皮一枚で裏と表だ、どうなんだろうか。
戦いは、深く潜行して、静かにうねっているが、少女の歌う声が聞こえてくるような。
三木谷は両親から「イエス、ノーにワン、ツー、スリー、あとは便所の意味のバスルームだけ教えられて、地元の小学校へ放り込まれた」と苦笑いする。そこは、たった一人の黒人教師以外、先生や級友すべてが白人という学校だった。
「不安なんてまったくなかった。編入したその日からクラス全員が友だちになっていましたもん」と回顧したのに続いて、彼は平然と言ってのけた。
「僕はね、基本的に性善説というか、人を嫌いになれない性格なんです」(日刊現代)
小学二年生でアメリカの現地の小学校に編入して、何も無かったというのは面白い回答です。この記者は次に同じケースでのトラウマについて言及し、暗示しているが、前々から、ここでトラウマになったのではないかと指摘してきた。様々なことが考えられるが、先は長い、「不安」という言葉が出たということに注目しておくだけにしておこう。
「人を嫌いになれない性格」、こういう鬱屈した表現をする。肯定表現ではなく否定表現で自己を表すこと、何かを否定したいんだろうな。
だから、三木谷と話をしていて、彼からルサンチマンを感じることはない。表面上の三木谷に、ざらりとした異物感や険、棘などは皆無だ。高貴とまではいかないが、育ちのよさは漂う。もっとも、自信に満ちた物言いには年齢に似合わぬ老獪さも漂っている。彼を良く知る複数の人たちからは、「気性の起伏が激しい」「躁鬱の差が極端」という証言を得たことも記しておこう。(月刊現代、書かれざる「虚と実」の原風景)
人間は社会の中で生活しなければならない。一人では生きて行けない、親子が最初の単位であろうか。大学教授の父と才媛のお母さんを持った彼が複雑な精神構造を持っていることは容易に想像できる。人間は段階を踏んで成長していく。ところが、未解決な問題を抱えたまま次の段階に入ってしまったとしたら、精神状態は不安定になる。ホテルオークラでの説明会でも、社員たちがピリピリしているのを見て、楽天の社風が読めた。自由に物の言える会社ではないのだろう。トップダウンは効率的な命令系統ではあるが、判断が間違っていたときの修正が難しい。カラー変更問題がその典型であろう。闇雲に突き進んでいったとしても、いずれ行き詰る。
見破られるのではないかという不安が、「気性の起伏が激しい」「躁鬱の差が極端」にさせるのではないかと思う。あくまでも、私の妄想ではあるが。
三木谷の人生で初めてのつまずきは中学時代に起こった。彼は岡山白陵中学という開校2年目の私学に入るが、中学2年の6月に中退するのだ。
白陵中学は中高一貫教育で、原則的には寮生活という学校だ。彼の兄はここの兄弟校に在籍しており、父がそのPTA会長を勤めていた関係もあっての選択だった。
両親が姉、兄だけでなく末っ子にもそれなりの教育を施そうとしたのは当然のことだ。三木谷も有名進学塾に通わされている。父がまだ小さかった二人の息子を連れて上京し、東大、一橋大、早大、慶大・・・・・・・一流大学のキャンパスを見せて回ったこともあった。
三木谷が中学に入学した翌年には、第1回目の大学共通一次試験が実施されている。「よい大学、よい会社、良い人生」という公式が信奉されていた時代だった。三木谷はその潮流に呑み込まれながら、脱落してしまったのだ。彼は中学時代を振り返る。
「ものすごくスパルタな学校でしてね。例えば英語なんて、教科書を丸暗記しなければいけないんだけれど、スペルを一つ間違うと減点され、80点を切ったら体罰を食らう。リベラルとはほど遠い学校でした。ストレスのせいで成長も止まってしまった。」
やめたい―――――父にこう伝えたら、父はその場で電話を取り、「次男はやめるいうてます」と学校に伝えたという。そんな顛末を聞き、こちらが面食らっているのを見ながら、彼は鷹揚に言った。
すぐに地元の朝霧中学に転入しました。落ちこぼれて私学を中退したわけですけど、要は仕切り直せばいいわけですからね」
三木谷は、再び口を開いた。
「僕の辞書に挫折なんて言葉はないんですよ」(月刊現代、書かれざる「虚と実」の原風景)
「落ちこぼれ」、「挫折」、厳しい言葉が出てくるね。高度成長の時代、スパルタ教育がはやった。岡山白陵中学のやり方は厳しかったんだろうけど、
落ちこぼれなかったやつもいたわけだ。
ここで、注目したいのは彼の父親が「スパルタ教育」を好んだということだ。試練は人間を磨くときもあるし、駄目にするときも有る。淘汰する側とされる側、クラブと白黒を愛するサポ、三木谷氏の心の内は両方の間を、行き来するのではないだろうか。
揺れ動く心、隠さなくてもいいと思うが、隠すことによってしか生き延びられないと思ったとしたら、悲しいことである。
(女性問題)
三木谷の大学時代はテニス一色に塗りつぶされている。
「硬派でしたよ。学ランを着て、女っ気なんて縁のない4年間でした」(月刊現代、書かれざる「虚と実」の原風景)
女性に対する接し方として硬派、軟派、普通人、三パターンに分けて且つ孫正義、ホリエモン、三木谷氏に分類して考えていこう。
1.孫正義は普通人
彼は在日であり家庭はまとまっていたようだから、儒教の影響があると思う。先祖を敬い妻を大事にする。二人の女の子を持ち平凡な家庭を築いていくだろう。あんまり面白くもないね。
2.ホリエモンは軟派
最初の奥さんの協力で会社が大きくなったと聞いているが、あっさりと別れてしまって、別の女の人と付き合ってるんだろう。花から花への典型だね。生き方としては見ていて面白い。話題が豊富で、女を喜ばせる手管というものを本能的に持っているんだね。週刊誌をにぎわせていくことだろう。
3.三木谷氏は硬派
自分からは決して声をかけない。女の人からバレンタインデーに「これ本命よ」なんていわれてその気になるという感じ。まあ、中途半端だね。レストランで「ホワイトボード」の君が、「今夜は遅くなってもいいのよ」と言っても、テニスの技術論を延々としゃべり、クラブに入っても「君の目は素敵だね」などとは言わず、手も握らず、お別れに「明日も忙しいんだ」と言って別れる。最後の手段として、「結婚を申し込まれてるの」と言われても少しうろたえるだけ。かくて、奥さんの元に返る。
別に見てきた訳でもないが、硬派というのは長続きするもんな。それでも、後半戦、また素敵な人が現れたらまた揺れ動くことでしょう。
(カリスマ経営者)
「僕は発想が独創的なんですよ。先生にはそこを見込まれたんじゃないかな。逆に言うと、普通の人とは同じ発想が出来ない。当時から物事を俯瞰的に考えていました。それに僕は典型的な右脳人間なんです。右脳で生まれた直観を、さらに左脳で検証し理論化していく。そういう知的な作業が大好きです」(月刊現代、書かれざる「虚と実」の原風景)
アインシュタインでも「私の発想は独創的だ」などとは言わないと思うがね。「普通の人とは同じ発想が出来ない」から弱いものまた差別されるものの苦しみや悲しみが分からないのだろうか。独創的であることは社会に役立てようとしたとき光り輝き、自己の利益に利用するとき人を苦しめる。
独創性があるのかどうか、この1年ヴィッセル神戸で見てみると、飛行船、アドバルーン、タレント、炎、風船上げ、どっかで見たようなものだったがな。俺は期待してたんだぜ。スタヂアムを感動の坩堝にするような新機軸を出してくれると期待してたのに、炎を見たときはなんだK1かと絶望したよ。
一兆円の会社のオーナーだからカリスマ経営者であることは間違いない。しかし、カリスマであり続けるためには株価の維持が必要であり、そのためには自分を飾らねばならないとしたら、悲しいと思わないか。
右脳であろうと左脳であろうと人間は体全体で考えるものだと思う、偏ることは間違いの元だと思う。
経営者は鳥瞰的に物事を見るのが基本じゃないのかね。俯瞰という見方は、地面から物事を見ることで、石とか草花は良く見えるが全体像は見えない。イルハン、見た目はよかった、ハシェック監督もいい監督だったと思うが、何故彼が窮地に陥ったとき助けてやれなかったのだろうか
(興銀スピリット)
三木谷は住友銀行からの内定を蹴って興銀に入行した。
「興銀スピリットに魅了されたということです。それは新しい事業を応援し、日本に根づかせたいという精神です。日本という国をどうすべきかを、興銀マンはいつも考えている。僕が事業をやっていくうえでのベースは、間違いなく興銀時代に培ったものです」
時代がかっていて、いささか鼻白ん出しまうような台詞だが、三木谷は至極まじめな顔つきだった。三木谷だけでなく、私が会った旧興銀マンたちは同様のことを異口同音に話した。曰く「俺たちは日本の基幹を支えていた」「大蔵省と興銀は一心同体」、果ては「興銀こそが日本経済そのもの」―――これほどまで高いプライドを持ち得る組織というものも、いろんな意味で稀有な存在だ。そうした意識は、三木谷にも色濃く投影されている。(月刊現代、書かれざる「虚と実」の原風景)
興銀を選んだのは出世の期待度が高いと見たのだろう。
三木谷氏はバブルに関しては言及しない、彼が入行した時期はバブルの最盛期だと思う。そして、興銀も『そごう』への過剰融資、「尾上縫事件」という不祥事を起こしている。バブルの当事者である。この問題の総括はどうなっているのだろうか。バブルを無視して興銀スピリットを見つめるとするならば、確かに俯瞰的である。
天下国家を論じるのはいいことだけど、心正しくなければ意味のないことだ。大学紛争の只中で、朝から晩まで「天下国家」を論じてたけど最終的に何が残ったのだろうか。敗因の研究というものも大切だ。
三木谷氏は土地本位制からは脱却し、株本位制に立っているかのように見える。バブルとは泡、夢風船、楽天の株価が高値を保っているのは三木谷氏への夢ではないのだろうか。この辺も、来年の研究課題でもある。
(イメージコントロール)
三木谷と同じく、88年に入行した者は126人を数えた。同期から見れば、帳票整理を押し付けられた三木谷は、強力なライバルとは映らなかったはずだ。しかし彼は持ち前のバイタリティを発揮して、自力で周囲の注目を集める。入行3年目、26歳にしてハーバード大経営大学院への留学を勝ち得たのだ。同期の中で一番乗りだった。それは2年の間、出社前に語学学校へ通い、寸暇を惜しんで英語を学んだ成果であった。
「目標を設定したら、それを実現するために突き進んでいく。そのための努力は、苦労というよりむしろ楽しい」(月刊現代、書かれざる「虚と実」の原風景)
☆『プラス思考になるイメージコントロール法』
人間の思考タイプには、楽天的でプラス思考の人と、いつもクヨクヨ考えすぎのマイナス思考の人がいるようです。でも、ちょっとした訓練で思考のタイプを変えることができるとしたら、プラス思考の方が、体にも、心にも、頭の働きにも良いようです。そこで今回はプラス思考に変身するための方法のご紹介です。
◇あたま(イメージ)とからだのつながり「イメージが微細にわたっている時、神経系統的な働きとしてみれば、それは実際の体験と全く同じである(マックスウエル・マルツ)」と言われています。例えば、レモンを食べていなくても、食べている状態を想像するだけで唾液が出ます。これは、実際に食べているのか、想像だけなのか、頭の中では区別がつかないために唾液が出るわけです。
マイナスの体験が多くて、そのマイナス体験を繰り返し思い出すと、マイナスのイメージ回路が太くなります。しかし、数少ないプラスの体験を繰り返し思い出すと、プラスのイメージ回路が太くなります。例えば、ゴルフで打つ前に、うまく打てた時のことを思い浮かべてから打つというのはこの原理を利用したものです。(能力開発研究所の<能力開発>へようこそ)
「目標を設定したら、それを実現するために突き進んでいく。そのための努力は、苦労というよりむしろ楽しい」、「成功のコンセプト」、「僕は発想が独創的なんですよ」、テニスとゴルフが得意、これらを繋げると、イメージコントロールをしてるんじゃないかと疑うんだよね。
スポーツの世界ではイメージコントロールは効果的であることは有名だ、三木谷氏も承知のことと思う。英語の勉強に使っても有効だろう。しかし、「あいつに勝つ」などということに使うと「魔境」ということになる。
弘法大師も記憶力をよくするために「虚空蔵菩薩求聞持法」という修行をされたが、これを素人がやると発狂する可能性があるんだね。何事も、正しい使い方があるということだ。
「血の色」、「極秘試着会」、仙台を巡るホリエモンとの戦い、何か、心の破綻を感じるんだね。
この、HPで資料を蓄積しているが、だんだん本丸に迫ってきたような気もする。22日は、その一里塚となるだろう。
(起業家精神)
ハーバード大で んだ事々は、三木谷の後半生を大きく左右した。
「アメリカでは、どこの会社で働くかより、どんな仕事をするかのほうが重要です。日本では大企業をメージャーリーグのように錯覚しているけど、あっちじゃ優秀なヤッほど起業します。GMやフォードなんて大企業に就職するのは本当にダサいことなんです。アメリカの経済哲学は、起業家精神(アントレプレナーシップ)と言い換えてもいい。それに比べて、日本はオジサン中心の封建的なビジネスソサエティーが出来ていて、起業する芽をことごとく摘み取ってしまう」
とはいえ三木谷は、いつか興銀のトップに昇りつめてやるという野心を持っていた。その反面、組織に対する畏怖もあった。
「あのころの僕は、まるでジョン万次郎ですよ。会社を裏切ることは、脱藩することと同じ。哀れな末路が待っていると信じていました」(月刊現代、書かれざる「虚と実」の原風景)
アントレプレナーシップ教育とは、精神的にも経済的にも自立した個人として、問題意識を持ち、新しいことに挑戦することで既存の社会をよりよく変革していける人材の育成を目指すものです。
アントレプレナーシップ教育の教材は、以下のような教育コンセプトのもと開発されたもので、新学習指導要領に謳われる「生きる力」を育成するため、主として「総合的な学習の時間」での活用を視野にいれたものです。
生徒主体の授業展開が可能で、学ぶ本人に役割・責任を与える
生徒が自ら考え実行できる機会を与え、以下のような力を培うことを支援する
発想力
創造力
独創力
知的好奇心・探究心
問題発見能力
問題解決能力
情報収集能力
分析能力
決断力
独立して行動できる力(アントレプレナーシップ開発センター)
アメリカ留学中に、アントレプレナーシップの講義を受けたかサークルに入ったのであろう、そして起業への憧れと不安を持って帰国した。
この項で注目点は、「成功のコンセプト」がアントレプレナーシップより取られていることが読み取れることである。半年も彼を見つめてくると、彼の作文がいろんなところからの継ぎはぎが多いのではないかと思うようになって来た。彼の文章からは「サプライズ」は感じられても「ルサンチマン」が感じられないといえばいいのだろうか。
第二の注目点は、「アメリカの経済哲学は、起業家精神(アントレプレナーシップ)と言い換えてもいい」と言ったことである。ITバブルがアメリカであったらしいが、ITバブルに影響されたのだろうか。
アメリカの経済哲学から私が感じるものは、競争原理を基本としながらもキリスト教精神が支配しているものだ。大統領の宣誓式でもバイブルに手を置くことでもわかるように、キリスト教の理解なしにはアメリカ合衆国は理解できないと思う。宗教対立により迫害されたキリスト教徒たちが作った国がアメリカであり、彼らの精神は強固である。彼らの団結は助け合いの精神でもある。強者は弱者を助けなければならない。博愛精神と言い換えても良いだろう。
だから、メージャーリーグのオーナーになっても名誉を取るだけで利益を求めないというのが共通認識だと思う。日本のプロ野球も正力氏が「公共財」という言葉を入れているのだと思う。
サッカーの市民クラブというのもこの流れを受け継いでいるのだから、三木谷氏がカラー変更するのに反対の理由がここにある。
先は長い、だが、包囲網は出来たのではないか。
「阪神大震災で人生観が一変した。故郷が瓦礫となっただけでなく、叔母夫婦が死んだんです。遺体が安置された体育館へ行くと、目の前に500体もの死体が転がっている。どんなに成功しようが宇宙の歴史の中ではたいしたことはない。果たして金持ちになることが、頭取にまで出世することがハッピーなのかと自問するしかなかった」(月刊現代、書かれざる「虚と実」の原風景)
人間はなかなか本当のことは言わない。昔、「愛と死を見つめて」という往復書簡集があり、骨肉腫のヒロインが「死は太陽みたいで見つめることが出来ない」、こんなことを書いてたな。「人間は生まれたときから死ぬ事を運命付けられた死刑囚」、こんなことを三島由紀夫が言ってたような、うろ覚えだけど。とにかく、死を自己の中で位置づけるのは難しい。
戦場で強姦事件が多発するのは、死を目前にして子孫を残そうとする本能が性欲を亢進させるからだという説がある。彼は、「自問するしかなかった」と語るように悩んだんだろう。そして、後悔するのがいやだから、起業したわけだろう。私は彼が死に反発したのだと思う。「血の色」はまさに生きようとする意志に見える。
死を受け入れることが「安心立命」なのだとおもうが、受け入れなければ「地獄」となる。戦うことによって「死の恐怖」から逃れようとする、戦っているうちは「死」を忘れられるもんな。
震災10年を前にして、不謹慎な発言ではありますが、彼の行動によって傷ついた若者たちのためお許し願いたい。
当時の興銀は依然として堅牢で強大だった。山一證券や拓銀の瓦解によって、金融危機が勃発するのはこの2年後だ。そんな中で興銀を去るというのは、周囲の理解を超えた行動だった。
「僕にとってのリスクとは、後悔すること。だから、リスクを取らないために興銀を辞めたんです。反対しなかったのは親父と女房だけだったですね」(月刊現代、書かれざる「虚と実」の原風景)
裁判では一九九五年度に興銀が行った旧住専の日本ハウジングローン(JHL)向けの債権の全額放棄について、同年度の損金参入を認めずに追徴課税した国税当局の判断の是非が争われた。(日経新聞、2004.12.24)
しかしZeelenberg,Beattie,Pligt,&Vries(1996)はリスクを伴う意思決定場面(くじの選択)において,人はリスクを最小化するよりもむしろ後悔を最小化する選択をする傾向があることを示した.彼らの結果はくじ場面(金銭リスク)に限られているが,一般的な状況においても,失敗した場合の後悔の大きさの程度がリスク行動に及ぼす影響は大きいと思われる.(リスク志向・回避行動に及ぼす後悔の効果、上市 秀雄 楠見 孝、東京工業大学社会理工学研究科)
住専(住宅専門金融会社)とは大手金融機関が作った個人向けの住宅ローン会社のことで、その名とは裏腹にバブルの倒壊の口火を切ったことが懐かしい。土地神話に酔った銀行マンが地上げ等に使ったため、1990年3月に大蔵省から通達された「土地関連融資の抑制について」(総量規制)という劇薬にいちころだった。興銀も1995年当時「依然として堅牢で強大」に見えてはいたが、首脳陣たちは問題を先送りにして逃げ切りを図っていた。この時代背景を押さえながら話を進めよう。
「リスクとは、後悔すること」の意味を知ることによって彼を理解することが出来ると思う。難解ではあるが、彼の真情であろう。人間は嘘をつく動物であり、また嘘をつけないものでもある。「虚と実」によって人間は生きていると言おうか。
男と女は結ばれる運命にあるが、言葉という「虚」、例えば「私、結婚を申し込まれているの」という嘘に、男がリスクを取れないとしたら、後悔するという「実」を取ることになる。
問題は「僕にとってのリスク」と表現し、個人的には後悔するのが嫌だとする事である。彼は事業の面でも後悔するのが嫌らしい。プロ野球参入も後悔するのが嫌だから決断したのだろうか。
私が彼の経営者としての資質を問題にするのがここにある。リスクを数値化したのだろうか。楽天の社員、ヴィッセル神戸の社員、ファンとサポの運命を勘案したのであろうか。
金は有限である、何かおかしいとは思わないか。売上が伸びているのに、手数料の引き上げだ。楽天の財務はどうなっているのだろうか。
独り立ちした彼は、「クリムゾングループ」を設立した。クリムゾンとは深紅色を意味しハーバート大学のキャンパスカラーだ。事務所は、学芸大学駅(東京・目黒区)近くにある自宅マンションの一室に置いていた。
三木谷が本格的にIT事業へ打って出るのは、独立して2年目、97年2月だ。三木谷が32歳になる直前のことだった。そのための別会社は「エム・ディー・エム」と名づけられ、99年に「楽天」となる。エム・ディー・エムの名はマジカル・デジタル・マーケットに由来している。楽天は織田信長の楽市楽座からの拝借だ。(月刊現代、書かれざる「虚と実」の原風景)
起業したことによって、「クリムゾン」、「楽天」のキーワードが出てきたが、その中間に「MDM」が在る。英語、英語、日本語となる。いくらバイリンガルといえど、魂の問題では日本人になるということだろうか。マジカルを「手品のような」と取るか「魔術的な」と取るかだが、彼の言葉は重層的と捉えると、第一義に「手品」そして裏に「魔術」と捉えるのが良いと思う。
「12・22 假面の告白\(起業家精神)」で見たように起業のために精神の高揚を図ったことによる効果と副作用。効果は起業の成功であるが、副作用は精神の荒廃である。ここが我がHPの論点でもある。「カラー変更問題」はまさに精神の荒廃によっているのではないか、長くかかったが、そんな気がしてきた。
「クリムゾンカラー」に彼がこだわっているならば、この半年で「クリムゾンカラー」、「象徴的なもの」、「クリムゾンカラー」と三転しなかっただろう。愛する母校ならなおさらだろう。
今、考えているのは近親憎悪である。学生時代学ランを着ていた彼にとって、ヴィッセル神戸のコアサポたちは彼の心の中の「消し去りたい部分」ではなかったのか。「赤」を押し出すことによって彼らをサポーターズシートから消し去ろうとした、「新応援団」という言葉も出てきたのがその傍証でもあるが、「7/25 少し判ってきた(カラー変更問題)」の記事も参考にしていくとかなりの確率があると思う。
初期のスタッフは、同じく興銀を辞めていた高畑龍一、それに妻の晴子が経理や事務など裏方全般を担当してくれた。仕事はコンサルティングが中心で金銭的な余裕はゼロに等しい。マンションはお世辞にも高級といえず、夫婦の乗るクルマもカローラだった。
しかし三木谷の意気だけは軒昂だった。彼は、「就職活動の一環として、興銀を辞めた人の話を聞く」ために訪れてきた本城槇之介にこう断言した。「日本経済のパラダイムシフトが始まろうとしている。小さな組織が重厚長大産業を打ち負かす時代が来る」
本城は慶応大大学院生で、これを機にスタッフに加わる。彼のITに関する知識がビッグビジネスへの扉を開く。(月刊現代、書かれざる「虚と実」の原風景)
1《形式》パラダイム,理論的枠組(ある時代・分野に特徴的な物の考え方・認識の枠組);《広義》状況.
1(シフト)移動,転換,変化,変更,転移(Yahoo!辞書)
経済の右肩上がりを前提とする日本の20世紀型社会経済システムは、高度経済成長の終焉、IT革命の進展、経済のグローバル化等を背景に制度疲労を起こし、また、変革を余儀なくされてきています。 (パラダイムシフトを考える)
現代の「技術メディア」におけるアナログ技術とデジタル技術のあいだの決定的な技術的差異に対応するような、両者のあいだの決定的な思考の枠組みの差異こそが問題となります。「文字文化」に対する「電子文化」というメディアの発展段階の把握ではなく、マクルーハンが「電子文化」と呼んでいるものの内部で新たな段階を踏み出している「デジタル技術」によって生みだされるような思考の枠組み、人間のあり方こそが問題となります。(YAMAGUCHIHiroyuki'sWeb Site)
本当に彼は檄を飛ばすのが上手だ、テニス部のキャプテン時代に培ったものだろう。「パラダイムシフト」、小泉が言い古した「構造改革」やな。俺はね、難しい言葉でしゃべる人間は信用しないことにしている。根拠は、理解していない、理解していれば、優しい言葉で言えるはずだ。
詐欺師がそうなんだね、難しい言葉で人を理解不能にして、判断力を奪い、騙してしまう。
高畑龍一氏はどうしているんだろうか、本城槇之介氏は校長先生になると出てたな。経営者というものは成功すると、自分のやりたいようにするために協力者を遠ざける傾向にあるが、そうなのだろうか。本城氏が楽天の副社長でいてくれたら、カラー変更問題はなかったような気がするな。
三木谷は、インターネットのオンラインショッピングモール(仮想商店街)に食指を動かした理由を、「論理ではなく直感で選んだ」と語っている。そのころ、国内ではいくつかのモールが構築されていたものの、ことごとく失敗していた。
「周囲が反面教師だらけだったことが、僕にはプラスだった。ようは彼らの逆を打っていけばいいんですから」(月刊現代、書かれざる「虚と実」の原風景)
直感といえば、イルハンでは見事に失敗した。直感勝負も当たればいいが野球のように大痛手を負う可能性の有る商売はきついぜ。楽天の成功も直感とはいえ、バックス、奥さん、社員の協力があったからだと思う、今回の勝負は一人で行ったものだろう。幸運は何時までも続かないことに気がつかねばならぬ。反面教師たちも逆襲に立ち上がるのだから
三木谷を良く知る人たちからは、「彼は変わった」という指摘が再三聞かれる。前出の田北は、プロ野球参入が決まる直前に彼とあった。
「三木谷は過去を語らなくなった。話すことはすべて未来のことばかり。それも夢というより、現実的な事案だった」
だが彼は私に向かって、「僕は悔いのない人生をまっとうしたい。僕にとって後悔とは、挑戦をせずに諦めてしまうことだ」と言い切った。三木谷にとって拡大路線、巨大化政策は、「悔いのない人生」を送るのに欠かせないものなのだろう。(月刊現代、書かれざる「虚と実」の原風景)
「悔いのない人生」は有り得るだろうか。一見、有り得る様に思えるが、言葉の綾である。何故人間は悔いるのか、この世は思うようにならぬからである。故に、釈迦は諦念を提起したのだ。「悔いのない人生」を送ろうと思えば、欲を捨てることしかない。人間と生まれた以上、「常勝」は有り得ない。人生の最後には死という敗北が待ち受けているのだから。
三木谷氏にとって「挑戦」とはプロ野球参戦のようであるが、孫正義の出現によって「逆挑戦」されることとなった。プロ野球は「公共財」という金科玉条がある。プロ野球は「ビジネス」だなどという泣き言はオーナー会議では通らない。「三木谷さん、全てを承知で参入されたのでしょう」と言われるのだろう。
もう、後には戻れない。成功の確率はいかほどであろうか。神のみぞ知る。だが、これだけは言える、ソフトバンクに三連敗したとき、わが身の浅はかさを知ることになるだろう。
カラー変更問題でも、赤のユニを見たぐらいで動揺しているみたいだが、勝負というものは接近戦に持ち込まないと面白くない。まだ、勝ち負けは明らかではない。今は勝ち誇っていても、五月ぐらいには方向性が出てくるのではないか。「驕れる者は久しからず」、赤旗が静かに沈んでいくのを見極めよう。
プロ野球参入決定の2週間後には、楽天がネット関連ベンチャーとして初めて経団連入りを果たした。奥田碩会長の強い推挙があったからだという。いよいよ財界から「一流企業」として認められたわけだが、彼に言わせれば、「まだ超一流のお墨付きはもらっていない」ということになろうか---。
三木谷は今後も疾駆を続ける。ゴールのないレースを、潤うことのない渇望を抱きながら。(月刊現代、書かれざる「虚と実」の原風景)
「三木谷は、潤うことのない渇望を抱きながら、ゴールのないレースを今後も疾駆を続ける」、こう、並べ替えると、増田晶文(ノンフィクション作家)氏、俺と意見が一致しているのが判る、いわゆる、「無間地獄」というもんだと思うな。
三木谷氏を理解するために、次は、子供時代のことを取り上げたい。
また、次に記事を見てもらえれば、「地獄の戦場」がまんざら誇張でないことがわかるともう。赤い服を着ようと思っている人も、よく読んで、思い止まったほうがいいと思う。
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