5/8 人間道のホリエモン(異色のニューヒーロー)
2004年のプロ野球の新規参入騒動は、異色のニューヒーローを生んだ。
ホリエモンこと、堀江貴文。32歳の挑戦的な金持ちの登場は、「礼儀知らず」と年寄り達を激怒させ、閉塞感の中にいる若者達を歓喜させた。
オタク的パワーで“売り上げ世界一”を目指す彼のルーツとは――。
“明るいおカネ第一主義”の伝道師 ライブドア社長 堀江貴文(nikkeibp.jp)
石井信平(1942年満州大連市生まれ 、1966年 同志社大学新聞学科卒業)
六道とは天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道をいう。インドから来た概念であるようで、カースト制度としては、バラモン(司祭)を最上位に、軍事・政治をつかさどるクシャトリア(王族、武士)、商工業活動に従事するビアイシャ(平民)、そしてその下には被支配民族のシュードラ(奴隷)と対応している。徳川幕府も士農工商とし、天は言うまでもなく、差別民を加えて六道に対応している。明治政府が武家政権の修羅道の上をゆく概念として人間道の「人間」を持ってきたのは当然のことであったろう。
三木谷氏は極めて修羅道に近く、ホリエモンは少し人間道に近いように見える。これから、石井氏のコラムと様々な資料と共に考えていきたい。
5/10-2 人間道のホリエモンU(革命を目的に行動する気は全然ない)
堀江貴文は「経営は爆発だ」のノリで競技場に登場した。堀江自身が爆発物ではないのか。そう言いたいほど、2004年はプロ野球界も、証券市場も、メディアも彼にかき回された。プロ野球の新規参入騒動は、図らずも「旧」、「既存」、「権威」に一人で挑戦する「若武者」を印象付けた。
私は堀江に聞いた。革命に興味ありますか?
「革命を目的に行動する気は全然ないですね。革命って、終わった後、また新しい体制が出来るだけじゃないですか。明治維新だって、終わったらみんな自己保身に走ったわけだし」
むしろ、自分は単純に世界一を目指す「アスリート」だと力まず言う。
「会社を売上高で世界一にします。孫正義、ビル・ゲイツを抜くことは時間の問題です。でも、それも僕の人生の通過点にしか過ぎません」(“明るいおカネ第一主義”の伝道師)
気宇壮大、破天荒、ニューヒーローだね。「経営は爆発だ」は岡本太郎の「芸術は爆発だ」のパロディだと思われる。岡本太郎といえば「太陽の塔」で、これのモデルは縄文土偶の「ハート形」だ。論理が飛躍して、彼を縄文人の末裔にしてしまう。八女出身で、移籍発掘にも興味を示していたというから、考古学にも詳しいのであろう。
孫正義を追い抜くのか、三木谷氏は眼中になし、世界一を目指す「アスリート」に注目していこう。
不遜で挑戦的な若者。しかし「カネ」を持ってる32歳だ。ライブドアの株式時価総額は今や2549億円(1月20日現在)、その36%を個人資産として手中に収める。一体、この男は何者だ?
プロ野球新規参入問題の渦中で、巨人軍前オーナーの渡辺恒雄は言った。「オレも知らないような人が入るわけにはいかんだろう。カネさえあればいいってもんじゃない」。
旧勢力に君臨する男のコメントだ。しかし、堀江はこう反撃した。「世の中にカネで買えないものなんて、あるわけない」。身も蓋もない発言だ。彼は「唯金論者」なのか。それとも守銭奴?
彼の言わんとするところはこうだ。
「カネで買えないものは、差別につながる。血筋、家柄、毛並み。世界で唯一、カネだけが無色透明で、フェアな基準ではないか」(“明るいおカネ第一主義”の伝道師)
平等性一切同発菩提心(仏の心は皆が平等であること)と毎月の月参り(お坊さんが毎月家にお経を上げに来ること)で唱えながら、いいことを言うもんだと感心する。釈迦は原始教団では差別を嫌ったようで、身分、性別の制限はなかったようである。だから、毎日、全国のお寺で「平等」という言葉の入ったお経を唱えているのだろう。
ナベツネも、ホリエモンを差別したわけだ。既得権者は新規参入者を阻止したい。当然のことで、混乱を避けるために資格要件を定めねばならない。そこに、有名人であることなど入れるわけにも行かないだろうが。
既得権に対する刃としての金、いつの世もこういう図式になる。例えば、紀伊国屋文左衛門、派手にしすぎて潰されてしまった。田中角栄も、金を持てば派閥を支配できる、派閥を支配できれば自民党を支配できる、そして日本を支配できると思ったのであろう。挑戦者はいつもこうだと思う。そして、金は人間を変えていくわけだ。初心忘るべからず、これが難しい。ホリエモンもこれから、変わるかに注目されるし、破壊者は短命という運勢学の常識に逆らえるだろうか。
この記事を書いた人も、満州出身、有為転変の世を生きてきたから「カネだけが無色透明」という心境を理解できるのだろうか。金を生かすも殺すも人間しだい、井原西鶴が「金が敵の世の中」といったが、変わっていない。世の中が、停滞したものだから時代の要請でホリエモンの登場となったのであろう。ナベツネに代表される守旧派に挑戦するホリエモンということなのだろう。
1991年、東京大学文科三類に入学した彼を失望させたのは、カネにまつわる現実。「ショックだったのは、東大の先生だって学問をやる資金に苦労していたことでした」。大学の恩師は、湾岸戦争を振り返り、「イラク人と日本人で、命の値段は違うのです」と説いてナイーブな彼を混乱させた。
カネについては、もう一つ痛切な体験がある。起業を急ぐあまり、当時付き合っていた女性の父親に600万円を借りた。後にこの借金は、泥沼の「お家騒動」に発展する。
彼が起業し、有限会社「オン・ザ・エッヂ」を立ち上げたのは96年。23歳、まだ学生だった。
「インターネットに出合ったことが重大でした。時間がない、早く起業しなければ、と」
3年後、会社が急成長を遂げ、上場の話が持ち上がった時、内部対立が起こり、30人程いた社員の内、創業メンバーを中心に10人前後が辞めた。その中に、この「最大の出資者の娘」がいた。当時、彼女との関係は冷え切っていたが、その時点で彼女の持ち分は、全株数の40%。時価総額5億円に達していた。
別れ際こそカネが大事だ、と思った。彼は銀行に個人融資を頼み、5億円を彼女に「返した」。この痛切な体験がカネに対する姿勢を「筋金入り」にした。そして、経営者としての彼に「気合い」を入れた。(“明るいおカネ第一主義”の伝道師)
ホリエモンは考古学でもやりたかったのだろう。学者になっていれば、面白い論文を書いたと思う。随分、悩んだのだろう。女には絶望したと思う。彼の母親は仕事にかまけて家に居なかったらしい。彼は母親の愛情をあまり受けていない。このへんが、ホリエモンの母性本能をくすぐるところであろう。今でも、彼の目を見ると、愛情欠乏症の片鱗を感じる。男は理想が好きで、女は現実派という、現実に気がついて、学者から起業家へと変身したのであろうか。
5/16-2 人間道のホリエモンX(黒豚トンカツを語る東大生)
「人間が作り出した最もパワフルな文化がカネです。言葉よりもカネの方が世の中に押し通るのです」。こう語るのは、東京大学教養学部で堀江のゼミ教官だった船曳建夫である。専門は文化人類学。彼は入学した堀江の印象を語った。
「彼はインテリ系でも体育会系でもない、東大生には珍しい“欲望派”とでも言うんでしょうか。黒豚トンカツがいかに美味いか、熱っぽく語っている時の堀江君を強烈に覚えています」(“明るいおカネ第一主義”の伝道師)
ホリエモンという男は自分の心に正直に生きているようだ。「命より次に大事な金」といやみなくいう姿を見てそう感じた。彼の母親は、頭が良かったようだ、そのせいか家庭を顧みず仕事に打ち込んで、愛情のこもった家庭料理をつくらなかった。高校時代の友達の母親にファミリーレストランに連れて行かれて「この世の中に、こんなうまいものがあったんだ」という証言からも、不幸な家庭が想像される。彼の心の母への憎しみという部分、ここが重要と思われるが、俺は「黒豚トンカツ」とはついに味わえなかった母の味のことだと思うんだ。
カラオケ十八番は中森明菜の「DESIRE(ディザイアー=欲望)」。一体、彼は何に飢えていたのだろうか?私は彼の欲望のルーツを求めて、故郷の福岡県八女市に向かった。
八女という駅はない。「あげんがもん作るとよそ者がいっぱい来るけん、せからしう(せわしなく)なるだけん、八女には駅はいらん」。町の人の説明だ。
八女茶と仏壇と提灯が特産の保守的な町。その町外れに、見合い結婚した夫婦の一人っ子として、72年に堀江は誕生する。「うちは八女のストレンジャーです」と彼は言う。新興の開拓地に祖父がたまたま疎開してきて、地縁はない。「ふるさと」の風情もない。マイカーが行き来する自動車道路に面してセブンイレブン、その隣に彼の実家がある。(“明るいおカネ第一主義”の伝道師)
「八女」 という市名は、 わが国の最も古い歴史書である 「日本書紀」に現れる女神の名から生まれました。 この地を訪れた景行天皇が 「山なみがとても美しい。 山中に神がおられるのだろうか」 と尋ねられたとき、 お側のものが
「山中に八女津媛という女神がおられます」と答えたのがその始まりといわれています。
「八女津媛」 は、 耶馬台国の 「卑弥呼」 のようなシャーマン
(巫女) で、 この地方の女王的な人物だったとも思われます。
美しい神秘的な伝説に包まれた地名をもつこの八女地方は、一方では激しい戦乱の歴史も秘めています。 『古事記』 『日本書紀』 『風土記』
に記録された ”筑紫君磐井” がそれです。
約1500年前の継体大患の時代、 大和朝廷を相手に、 国家形成をかけて、
古代の八女びとは一年有余をこの地で戦いぬきました。 敗れはしましたが、 わたくしたちの先祖は、岩戸山古墳 (磐井の墓) を中心とした八女古墳群に、
石人石馬、 装飾壁画などの筑紫文化の華を残してくれました。 (八女市所有の石人石馬、 60個も国の重要文化財に指定されています。)
以上のような美しい風土と激しい情熱の歴史は、 この八女の地に豊かな物産とすぐれた工芸をはぐくみ伝承しました。(route442.com)
父、奉文は、地元の日産系列の会社に勤めるサラリーマン。昨年、定年退職した。息子を徹底してストイックに育てたことを誇りにしている。
柔道を習わせ、小遣いは与えず、新聞配達をさせた。中高一貫のエリート校、久留米大附設に通うのに6年間、毎日20キロの道を自転車で往復させた。
「自動車が2回、貴文にコブついたよ」。八女弁で「ぶつかった」という意味だ。(“明るいおカネ第一主義”の伝道師)
山下奉文 (やました ともゆき、1885 -1946)
陸大卒業後、参謀本部付、1919(T8)から3年間スイス・ドイツに駐在。27(S2)オーストリア大使館兼ハンガリー公使館付武官。その後、軍事課長、北支那方面軍参謀長、航空総監等を歴任。2・26事件のとき帰順勧告書を作成。 40ドイツ派遣航空視察団長となり、ドイツ機甲部隊を調査、41以降関東防衛軍司令官、第1・2方面軍司令官。 42シンガポール占領時パーシバル将軍に降伏を迫ったが、フィリピンへ転戦後その逆の立場となり、敗戦後46マニラ大虐殺等の責任を問われ、マニラで処刑された。<コンサイス日本人名事典>
ホリエモンの父の名が「奉文」なのは、多分「マレーの虎」の山下将軍から来ているのであろう。文を奉(たてまつ)ると言う意味だから、軍人らしくない名だ。当時はまだ軍人の生き残りが多くいたことだから、ホリエモンも将軍の話は知っていると思われる。
泰文氏はホリエモンに頑丈な体と、金の苦労、「母親の不在」を与えたわけだ。現在から見ると泰文氏が離婚に踏み切らなかったことが不思議に思われるかもしれないが、当時は家を守ることが「男の仕事」であり、役目でもあっつた。戦後と言う時代は、我が地域でも、生き残った男女が、生きるために夫婦であることを選ばせた。
ホリエモンは団塊の世代の子の異端児かもしれない。
父と子が通った樋口理髪店に案内され、私も髪を切ってもらった。女性店長が懐かしむ。「本当に仲のいい父子で、貴文さんが高校を出るまで一緒にここに来ていましたよ」。
ところが後日、東京で、堀江に父の話に水を向けると、彼は顔をしかめて言った。
「仲がいいわけないですよ。ひいきの巨人軍が負けると、僕を庭の木に縛り付けるような親父ですよ(これか!読売との因縁)。床屋に一緒に行ったのは、親父が運転する車しか移動手段がなかったからですよ」
共働きの母は自動車教習所に勤めていた。昔も今も、堀江を知る人は皆、彼の凄まじい食欲に言及する。その理由を、本人はこう説明する。
「金持ちになりたい」
「子供の頃、満足なものを食えなかったからですよ。母親は小作農の出で、元々、料理のスキルがない。それに勤めがあるから、毎日、通り一遍のメニューばかり。友達の母親に初めてファミレスに連れてってもらった時、世の中にこんなウマいものがあったのか、とびっくりしました」(“明るいおカネ第一主義”の伝道師)
九州でも巨人ファンは多い。奉文氏も、強いものに憧れたのであろう、ホリエモンはその弱さを憎んだのであろう。金がないから愛のない家庭を守る苦しみを見抜いていたのであろう。
ホリエモン、母親のことを「小作農の出」と表現したみたいだ。「水呑み百姓」と言う言葉があった、何も持たぬ農民が、種籾から全てを借りて始めた稲作が不作に終われば、もう、生きていけないと言うことだ。ホリエモンの母親も、口減らし(くちべらし)のために嫁にやられたのであろう。貧乏故に、料理など出来るわけもなかった。「小作農」故なのだ。母親は、ホリエモンを生んで、生活のために勤めの出て「金のある世界」を知り、家を見離したのであろう。金のない惨めさから逃げたかったのだ。 ホリエモンは、両親から「金の有り難さ」を教えられたわけだ。中森明菜と八女津媛(やめつひめ)どちらも妖しく輝いているな。ホリエモンの母親は、当時の習慣に従って見合い結婚をした。適齢期と言うもがあって、本人の意向よりも家柄や収入等が大事であった。だから、不幸な結婚など当たり前の時代だ。俺の彦根の叔母さんも見合い結婚をして、晩年はパチンコ三昧で人生を終えた。ホリエモンが今の結婚制度が間違っていると言うのは、母親の生き様を見たからであろう。週刊誌によれば、母親は会社の社長との仲を噂されたそうだ。捨てられた子供は、八女の大地を発掘して何を掘り当てたのだろうか。確か、「エクソシスト」の最初の場面は、不思議な文字の書かれた物体を掘り当てたところだったような。母は無くとも子は育つ、八女の大地が彼を育(はぐく)んだわけだ。八女の女は「美しい風土と激しい情熱」と形容されるだろうか。ここでは、ホリエモンの母親に対する愛憎を指摘しておきたい。また、「新興の開拓地に祖父がたまたま疎開してきて、地縁はない」ことから、よそ者、ストレンジャーでも有ったことを指摘しておきたい。
5/25-2 人間道のホリエモン\(八女を出よう! 東京に行こう!)
小学校時代に担任だった星野千代子は、彼が小学校4年の時、「将来の夢」という課題に、「金持ちになりたい」という題で作文を書いたのを覚えている。カネで何とか状況を変えたいと思ったのだ。
星野の記憶では、「自宅に行くと地球儀と百科事典がありました。何でもよく暗記していました」。学校から帰ると、老いた祖母だけがいた。「おばあちゃんの詠むお経も暗記していましたよ」。
車がなければどこにも行けない。学校から帰ると、地球儀が友達だった。彼が腐らず、グレなかったのは、「あきらめた」からである。「世の中には変えられないものがある。自分の容姿とか、もろもろ」。
だったら、変えられることを変えるっきゃない。八女を出よう! 東京に行こう!――高校も3年生になってから彼は東大受験を決意し、猛勉強を開始する。劣等生だった彼の東大合格は周囲を驚かした。(同)
地球儀と百科事典により得たホリエモンの世界は人文の世界であろうか、文系で身を立てようとしたのであろう。この段で注目したいのは、「彼が腐らず、グレなかったのは、『あきらめた』から」だ、三木谷氏もグレなかった。これは、簡単で、グレても得にならないからだ。俺も、損得勘定をしたから良くわかる。親に反抗するよりも、ここは、おとなしくして、「変えられることを変える」ため、家を出るのだ。三木谷氏は一浪して一ツ橋、ホリエモンは現役で東大。能力差は歴然としている。このへんが、野球参入の原因かもしれないな。アメリカの小学校編入のときの体験、闘争本能が突然よみがえったのだろうか。本当に、スパルタ教育は難しい。闘争心で能力を高めるのはいいが、やりすぎると言う面が出てくるからだ。
5/27-2 人間道のホリエモン](解放区と遠くへ行きたい)
しかし、東大も解放区ではなかった。ガリ勉の反動か、学問に対する失望か、授業にも出ない毎日が続いた。貧乏学生らしく、オンボロの駒場寮に住んで、支えは食欲。そして時々、同級生Nとヒッチハイクの旅に出た。どこか遠くへ!ヒッチハイクとは欲望の彷徨(ほうこう)だ。(同)
東京大学安田講堂攻防戦
1969年1月18日・19日に全学共闘会議(全共闘)の学生ら約500名が、東京大学安田講堂を解放区【かいほうく:革命勢力が、中央権力の支配を排除して革命の根拠地として支配した一国内の小地域を差して言う言葉】と称して占拠。これに対して大学当局が公安に要請し、19日午後5時46分に機動隊によって強制的に講堂内から排除された事件。
当時、東京大学では1967年の医学部闘争に端を発した学生運動が非常な盛り上がりを見せており、俗に言う「東大闘争」がピークを迎えていた。そして、他大学の学園紛争に対する公安の介入や'70年安保自動延長などに反対し、彼らは安田講堂に立て籠もったのである。時計台放送、帝大解体、造反有理などといった言葉に連想される一連の東大闘争もこの事件を期に、徐々に鎮静化していった。(http://www6.big.or.jp/~southern/conan/conan/context_03.htm)
東 大 駒 場 寮
寮は完全に学生のみで運営されていた。部屋の割り方も自由。空いた部屋は学生のアイデアでいろんなスペースとして開放された。外部の人間用のホテル部屋などもあったそうだ。そういうところからお金のないアーティストが紛れ込んで来たのではないだろうか?
とにかくここには三権分立で成り立った小さな国家があったらしい。(http://www.intwk.co.jp/YAMADA/build2/komaryo/komaryo.html)
石井信平氏は、たった二行に多くの概念を持ち込んでいるので、解説したい。「解放区」と言っても、体制側に対する「造反有理」の理論により一時的に獲得した空間のことで、一見、政治的に見えるが、団塊の世代が起こした父子相克ともいえる。戦後体制の矛盾を、「解放区」と言う言葉で表したと言えるだろうか。「解放区」が消滅すると、今度は、団塊の世代は「バブル」に邁進することになる。寺山修司流に表現するならば、「子宮」への憧れが「解放区」を作り出した、であろうか。「止めてくれるな、おっかさん、背中の銀杏が泣いている」、確か「駒場祭」のキャッチであった。
ホリエモン、食欲があるということは生きたいということで、「どこか遠くへ」とは、国鉄が行った「ディスカバージャパン」のキャンペーンソング「遠くへ行きたい」より、「愛する人とめぐり逢いたい」ことだろう。
ホリエモンは自由な時間と空間を持てたわけだ。創造性を涵養するための大地は「駒場寮」であり、肥料はヒッチハイクであったのだろう。
しかし、明るい青春ドラマは堀江にふさわしくない。むしろ暗い「引きこもり」の方が現実に近かった。3年生になり、駒場から本郷にキャンパスが移った時、堀江とNは同居を始めた。だが、距離の近さは鬱陶しさに転じ、若い二人の関係を断絶させた。今は博士課程で文化人類学を専攻するNが語る。
「『冷戦』でしたね。一切口をきかず、腹の中では、お前もゴミぐらい出せよー、使った鍋は洗えよー、です。帰宅したら、彼はテレビを見ていて、僕はその背中を黙ってすり抜ける。そんな毎日でした」
無為な「超ヒマしてます」の日々。今なお、学問に生きようとするNは、冷静に語る。
「堀江君は宗教学を専攻したけれど、明確な答えのない文科系の学問に辟易(へきえき)していたんだと思います。昼まで眠って、起きるとバイトとマージャン、馬券を買って、面白いことねぇなー、の毎日だったろうと僕は壁越しに想像していました。でも、経費の分担はキチンとして、彼はおカネで人を裏切ることは一度もありませんでした」(同)
ホリエモンは「テレビを見て」いなかった、考えていた。宗教学など専攻したのだから、絶望を味わっていたのであろう。冷静に判断すれば「生きる意味」などあろうはずもなく、「神仏」の存在も不確かである。生きる意味がないから、死ぬ意味もないのであって。絶望の正しい姿は「超ヒマしてます」なのだろう。ホリエモンの優れたところは、「バイトとマージャン、馬券」が面白くないことを発見したことだろう。凡人は、この段階で成長を止める。マージャンの世界にはまり込むのだ。
「おカネで人を裏切ることは一度も」なかった、八女という風土がそうさせたのだろうか。神仏の加護が合ったのかどうか、これから検証して行かねばならぬ。
94年、本郷の東大正門近くにあるフィクスというベンチャー企業でアルバイト募集があった。生活費に困っていた彼はこれに応募し、ここでインターネットに出合い、のめりこんだ。
これは、世の中を一変させる! 起業しよう!
彼は一冊の本を買い求めた。タイトルは、『有限会社の作り方』。教科書通りに会社を作った。社員は3人。雑居ビルの7畳の一部屋から始まった。経営手法は意外に手堅く、ネットベンチャーの多くが無料のサービスに走る中、企業のホームページ作りなど、「カッコ悪いが、日銭を稼ぐこと」に専念した。(同)
有限会社の最低資本金は500万円だろうか、この金を作るために最初の女性の親から金を借りた。そして、「カッコ悪いが、日銭を稼」いで会社を大きくしたわけだ。ホリエモン、最初は手堅く行って、大きくなれば、薄利多売路線。小学校のときの「金持ちになりたい」が役に立った。
HTMLの基本、パケット通信、たちどころに理解したんだな。
6/1-3 人間道のホリエモン13(縁の切れ目がカネの切れ目)
そもそも、96年に最初の会社「オン・ザ・エッヂ」を学生時代の友人仲間3人で設立したときから、借金で設立している(はじめは有限会社だった)。友人の一人(それは当時の堀江社長の彼女でもあった)の父親が金持だったので、その人を口説き、設立に必要だった600万円を丸々借金している。(うち100万円が出資金、500万円が融資という形になっていた)。
この会社はグングン成長していったが、堀江社長がこの会社を証券市場に上場(2000年)しようと考えはじめたときから、社内で意見がまっぷたつにわかれ、結局、当時30人いた社員のうち創業者メンバーを含む10人余が会社を辞めるという「泥沼のような騒動」になったあげくに、堀江社長についていった人々だけで、東証ヘラクレス上場の株式会社「オン・ザ・エッヂ」を立ち上げた。このとき、堀江社長の彼女(最初の出資者の娘)も辞職組に入って、会社を出ていってしまった。そして同時に堀江社長とも別れることになった。
堀江社長は彼女の父親に会社創業の時点で大変世話になったばかりか、その翌年資本金1000万円の株式会社にしたときも、資本金の主要部分は彼女の父親に出してもらっている。このとき堀江社長も出資者になっているが、それは帳簿上堀江社長が会社に貸付けた形になっていた運転資金を資本金に振り替える、デット・エクイティ・スワップ方式の出資だったから、実質現金で出資してくれたのは彼女の父親だったのである。
さらに、会社の発展にともなって増資が必要になり、99年には資本金を4000万円に増資したが、これも彼女の父親に第三者割当増資で出してもらっている。会社が分裂し、彼女とは仕事仲間としても、人生のパートナーとしても別れることになったから、当然のことながら、縁の切れ目がカネの切れ目となり、これまで最大のパトロンとして常に資金を頼っていた彼女の父親とも関係を断ち切らざるをえないことになった。(創業当時の堀江社長の横顔、nikeibb.jb)
「金と女」は男にとって一大事と言える。両方あれば文句なしだが、片方でもあれば、男は幸せと言えるだろう。チャールズ皇太子もカミラを取ったわけだ。ホリエモンは金を取った。金さえあれば、女は後から付いてくる、というわけだろうか。この時、彼は銀行から借金をして金を返したらしい。普通なら、平凡な社長で終わるところを、札束で女の頬を張ったというところが、面白いところだ。
6/3-2 人間道のホリエモン14(借金を恐れず)
最初の彼女と別れるためには、創業メンバーの持ち分を買い取らなければならなかった。五億円という。多分、持ち株を担保に町金から借りたのであろう。
ホリエモンの金融論は「必要があれば、ちょっと無理な借金をしても何も問題がなく、きちんと返済がつづけられれば何も心配することはない」であろうか。ニッポン放送買収でのリーマンからの借金も、判りやすく言えば持ち株担保の借金と言える。同じことを繰り返したのだ。「負けたところで、命まではとられない」のだ。
二回、勝負に勝ったわけだが、人生最後の勝負、三回戦は何をたくらむのであろうか。舞台は、日本を越えてしまうのであろう。楽しみなことだ。
6/5-2 人間道のホリエモン15(結婚とは形骸化した形式)
たゆまぬ営業努力で創業以来、赤字を出したのは一期だけ。2000年にはマザーズ上場。27歳の上場社長の誕生だ。その頃、別な命も誕生した。新しい恋人と「出来ちゃった結婚」をしたのだ。
しかし、上場で得た莫大な資金は、堀江を経営ゲームに一層のめりこませた。新興企業の社長=「ゲームのプレイヤー」に加えて、「いいパパ」「いい夫」を演じることは、彼にはどだい無理だった。
堀江はプライベートな質問に対しては実に素っ気ない。離婚した元妻のもとにいる息子に会いたいか、と聞くと、「一緒に住めないんですから、会ったってしょうがないですよ」。
今後、結婚することは?
「ありません。既に形骸化した形式だと思います」(“明るいおカネ第一主義”の伝道師)
ホリエモンは00年に長男誕生。三木谷氏より四年早い。早いことが、商売には有利に働いたようだ。最初の彼女との関係が続いているうちに元妻とも関係していたらしいから、女性関係ではルーズと言えるだろう。英雄色を好むだ。
女性解放運動が「家」の破壊を目指していたとしたら、ホリエモンはその成功の金字塔であろう。「家」が破壊されたため、ニートが「パンドラの箱」から出てきたのは興味深いことである。「家」の概念も時代と共に変わっていく、ホリエモンがどんな発言をするか注目し、様々に検討していきたい。
6/7-3 人間道のホリエモン16(全否定=自己否定)
彼は4年前に、生まれたばかりの息子を連れて実家に帰った。その時、父親は庭に鯉のぼりを立てて初孫の誕生を喜んだ。それ以来、彼は八女に帰っていない。帰る理由がない。
「八女に懐かしさも、感謝もありません。友達もいないし、用事もありません」
この全否定こそ、今の「自由」の根拠だ。
「世の中に暖かい家庭ってあるんですか? 僕には信じられない。みんな飽きてないの? なぜ人間は自分をガマンして偽って生きてるんですか?」(“明るいおカネ第一主義”の伝道師)
「全否定」という言葉は、吉本隆明が作ったと思う。「意識の中の国家を否定せよ」等という勇ましいアジテーションの跋扈した「全共闘」の「全」が入っている。ベトナム戦争と高度成長がもたらす未来に対する不安が、まだ経済社会に参加する前の若者たちに「自己否定」、大人になりたくない、「全否定」と意識させたのであろうか。
ホリエモンにとっての「全否定」は、「結婚制度」=社会のシステムなのであろう。この観点から見れば、彼の過激な発言は当然だ。母親に愛されなかった子供がどう行動するか。ぐれる、あきらめる、変えようとする。ホリエモンが全共闘世代に好かれるというのは、このところだろう。「変えよう」と言う意思は確かだろう。
「暖かい家庭」を知らない不幸せを、社会を変えると言う意思で克服することの例は、チャップリンであろうか。ホリエモンを榊原氏「トリックスター(*1)」とみなしたが、この意味で適切だ。*1、語句参照
6/9-2 人間道のホリエモン17(財務に詳しい「ネット・オタク」)
バリバリやります!
私は彼を、メチャメチャ財務に詳しい「ネット・オタク」と呼びたい。ライブドアの財務担当、丹澤みゆきは「うちの社長はおかしな数字はすぐに見破ります」と語る。
ITバブルがはじける直前に上場して得た数十億円の資金で企業を買収し、コストに厳しい堀江の下、買った企業の収益性を上げる繰り返しで、事業を多角化した。03年、監査法人トーマツが収益成長率を基にテクノロジー企業を顕彰する「日本テクノロジー Fast50」のベストテンにランク入りする。
彼はインタビュー中も手元の携帯電話の画面に時々目を落とす。一日5000通も受けるというメールを、こんな時でも見ているのだろうか。しかし、質問の言葉を一言も聞き逃していない。一度だけ私の質問に気色ばんだことがあった。ライブドアに番頭はいるか、と私は聞いた。
「それって、経営の現場を仕切る人間はいるのか、という意味ですね? 昔、呉服屋では番頭が切り盛りして、当主は世襲でボンクラ。つまり、お前はボンクラか、って聞かれたみたいだな。僕は、将来ビジョンを提示しつつ、同時にバリバリ現場でオペレーションをやるのが社長だと思っています。単純に気持ちの切り替えですよ。いまだに10万円以上の稟議書には全部目を通しています」(同)
財務の勉強は何処でしたんだろうか、「10万円以上の稟議書には全部目を通」す「コストに厳しい堀江」だから、「日本テクノロジー
Fast50」のベストテンにランク入りするのだろう。商売人の基本は「始末」と言う言葉に凝縮されるが、ホリエモン免許皆伝みたいだな。
6/11-2 人間道のホリエモン18(さびしがりや)
社長業を始めて9年。社長室はない。窓際で社員と同じスチールの事務机に向かう。今日のランチタイムは、秘書が買ってきた弁当を自席でかきこむ。社内を歩いても、すれ違う社員は挨拶もろくにしない。Tシャツ姿の社長は偉そうじゃない。しかし、彼は今や31の連結会社で、総計1800人の雇用を創出している。
私は八女を追憶する。堀江とは、例えれば八女の矢部川にいる「ギギ」という魚だ。ヒレに毒を持ち、刺されると半日はズキズキ痛む。「あいつはギュギュたん」と言えば、一筋縄ではいかぬという意味だ。
八女の飲み屋「やま奇人」に、地元でネット関連の仕事をしている30代が数人集まった。彼らは金がない、コネがない、チャンスがない。店主の山本典由が聞く。堀江さんのこと、どげん思うねー?
「ガバ凄かー、みんなが腹で思ってることを口にしてくれた」、「仙台進出を楽天にさらわれた後のアッサリ感、かっこよかー」。
ひょっとすると堀江は仙台に見果てぬ「ふるさと」を作ろうとしたのではないか。そして、日本の若者達は――故郷、共同体、伝統、家庭、あらゆるものから断ち切られて浮遊する若い世代は、すがるべき「ノアの箱舟」を堀江に感じ始めていないか。
30歳過ぎた大人をガキ扱いする日本社会は、同時に、膨大な数に上る30歳過ぎの「引きこもり」や「ニート」を抱えて立ち往生している。堀江はそのような社会で「異物」であり続ける。(同)
ホリエモンが社長室に引きこもらないのは、人間のぬくもりを感じていたいからであろう。母親のぬくもりを知らぬ子は、知らず知らず、ぬくもりのあるところに近づいていくものだ。競馬馬も体温が高いから、温かい。寺山修司も競馬馬を持ったことがある。寺山も、母に見捨てられて、孤独な子供時代を送った。ホリエモンと寺山、共通項は「さびしがりや」だ。
6/13-2 人間道のホリエモン19(ボンレスハム)
危うさはある。堀江の資産は、すべて株価次第。去年、堀江はイーバンク銀行との紛争と「株式100分割」で、証券業界から批判を浴びた。だが、そんな業界内台風ではなく、マスメディアが、いつ本格的な「堀江叩き」に転じてもおかしくない。既得権益に守られ、競争がない分野に「新規参入」を狙う彼は、メディアも狙っている。彼はいずれマスコミにとって危険人物になる。旧世代に反抗する若武者と、持ち上げていられなくなる。
ホリエモンだってさるもの、ひっかくものだ。孤立や孤独には、幼児期から滅法強い。今は、一人自宅で、ハムとベーコンを作るのが至福のひと時だ。レシピは、「冷戦」を解消した旧友Nから教わった。おいしいものに目がない。おいしいものを目の前にして、絶対にガマンしない。おいしいビジネスも「ゼンブいただき」だ。
社内会議が深夜に及んだ。退社する彼と一緒にエレベーターを降りた。
「あらゆるリスクに対する手は打ってあります」
そう言いながら彼は車に乗り込んだ。六本木ヒルズ駐車場から、黒塗りのベンツが夜の闇に消えた。いつ、どこで浮上するか分からない潜水艦のように、テールランプがかき消えた。(文中敬称略)
昨日、神戸の丸井にホリエモンの彼女が来て、「ボンレスハム」と命名したらしい。誰かを「ミスターホワイトボード」(語句参照)と名付けた人といい、いいニックネームである。
この記事は、ホリエモンのニッポン放送買収事件の前に書かれているが、多くの示唆に富んでいる。ホリエモンの評価は、まだ定まってはいないが、大人物であることは確かだ。田中角栄級の破壊力がある。第三派攻撃は、何時始まるのだろうか。今、作戦会議の最中だろうか。見つめていきたい。
この項、終わり。
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