“楽天的”の意味

/11 “楽天的”の意味(素直だったか)

どこへ行ってもハッピーにやれる性格。要するに僕は“楽天的”なんです。

どんな環境にも、すぐになじめる子供でしたね。

外国暮らしも、すごく厳しい寮生活も、案外平気だった。

アカデミックな家庭に生まれた少年はなんと中学を一度中退していた。(アントレ、99.11月号、企業家たちの軌跡)

 

 「楽天」とはなんと意味の深いことか、「楽」とは我が漢和辞典によると、<国訓>らく。イ、芝居の大太鼓入りのはやし。から、ホ、死ぬこと。まであるぜ。

 「天」は天国とすると、賑やかに昇天するとも取れる。言霊という言葉がある、言葉には力があると、俺は理解しているんだけれど。だから、使い方を誤ると、悪霊たちが寄ってくる。そんな気がしないか。

 彼の言葉は、増田氏の指摘するように表と裏があるようだ。「楽天的」、「平気」、これらの言葉の裏を考えていくことにしよう。

/14 “楽天的”の意味U(ゴンタでした)

バブル華やかなりし頃、一部女性の間で、結婚相手として“三高”男性がもてはやされたことがあった。三木谷浩史の履歴と身上は、まさにそういった方々の心の琴線に触れるのではなかろうか。父親は神戸大の教授で、昨年まで金融学会会長を務めた経済学者。母親も神戸大卒で戦後のキャリアウーマンのはしりともいえる女性。兄弟に目を移せば、姉は医師、兄はバイオ研究者。当の浩史は一橋大の商学部でテ二ス部のキャプテン。興銀に就職し、ハーバード大のビジネススクールへ社内留学。MBAを取得して帰国。
 しかし、このデラックスな経歴だけを見ていると、かえって三木谷という人聞の本当の魅力を、見逃してしまうことになる。たとえば彼がその興銀を辞めて独立してしまったこととか、数々の結構な縁談話を辞退し、価値観の合う同僚と結婚したこととか、あるいはその腕が熊みたく太いこととか…。

 アカデミックな家庭に育ったわりに、ぼくは姉貴や兄貴と違ってゴンタでしたね。親父はふだんは放任なんですが、やはり教育者ですからねえ。たまに怒ると手が出た。ぼくが家のお金をくすねて、50発くらい殴られたことがありました。もお、ビシバシ。
 小学校2年生の時、親父がエール大学に客員教授として招かれ、一家でアメリカに移り住むことになったんです。コネティカット州のニューヘイヴンという所でね。ぼくは現地の小学校に通うことになりました。もちろん、英語なんてできないんですけど全然平気で、3日もすると友だちができて、アイスホッケーに夢中になったりしてました。4年生の途中で帰国した時には、すっかり英語の思考回路になっていて、日本の学校ではちょっと浮いてた。それでも「うちの庭でキャンプやろうぜ」なんて友だちを呼んだりして、帰国して一か月経った頃にはカンペキに関西人に戻っていました。(アントレ、99.11月号、企業家たちの軌跡)

 

 カラー変更問題を端緒として、三木谷氏の心の奥を探ってきたが、彼が変わったという証言から推論すると、目標が高くなったということだろう。

1.東大 2.頭取 3.ベンチャー企業家 4.天下国家を語る人(政治家)と推論すると面白い。

 何故、赤い色にこだわるか、マスコミに何故出たがるか、三木谷という成功者を大衆に印象付けたいのではないか。地方重視などといいながら、記者会見を東京でやりたがるのは中央志向ではないのか。

 目的のためには、「カラー変更問題」で見たように、「決定事項」などといって強権で中央突破してくる。そして、本心を隠す。野球参入で証明された。彼は、私と同じように危険思想化のようだ。ウイングのサポーターシートのごくわずかな反乱軍ではあるが、やはり、正論は主張しなければならない。彼は成功しないだろうが、監視が必要だと思う。

 

 それではまた彼の過去を見ていくことにしよう。「ぼくが家のお金をくすねて、50発くらい殴られたことがありました」、彼は平然と語るが、強烈な幼児経験だね。彼は「おじさん」という言葉を使う。父性に対する屈折を表していると思う。体罰も使い方を間違えると家庭内暴力となる。愛情からは50発も殴れないな、一発で十分だ。後の49発は憎しみではなかったか。父子の相克は、戦国時代によくあった。信長も父には愛されなかったようだ。

 孫正義は金はなかったが、祖母、母の愛情を受けて育っている、この辺が人生の分かれ道になるのか。

/15 “楽天的”の意味U(ゴンタでしたU

「謀ったりと思いしが、あっちが何も皆合点、思えばこれまで騙ったも果ては命を騙らるる種と知らざる浅ましさ。」 南無阿弥陀仏

 義経千本桜は滅亡した平家の武将平知盛、維盛、教経の三人が実は生きていたとの設定で繰り広げられる壮大なストーリーで、仮名手本忠臣蔵、菅原伝授手習鑑と並んで三大歌舞伎の一つとされる人気狂言です。題名とは裏腹に主人公は平知盛、いがみの権太、狐忠信の三人で、殊に鮓屋の含まれる三段目では義経とは全く関係の無いところで話は展開します。主人公の悪党権太が、劇中で善人に立ち返るもどりと呼ばれる手法が使われており、関西地方で今でも性悪者を「ごんた」と呼ぶのはこの芝居に由来しています。(農村歌舞伎の部屋)

 

 彼の心が屈折している可能性については、「カラー変更問題」で散々書いたから、判ってもらえるともう。今日の話題は、誰が彼を「ゴンタ」といったかである。正しくは「ごんた」で、「企業家たちの軌跡」の記者は東京の人だったんだろう。そして、「ごんた」が分かる人は五十台以上だろう。登場人物の中で、言いそうな人を探っていくと、震災で死んだおばさんの線が出てくる。俺も、「ごんた」という言葉が使われていた時代を生きたから、おばさんの彼に対する愛情を感じるんだね。第三者として、彼の行動を理解していたような気がする。彼が言わないこと、震災体験といいながら、彼の理解者がいなくなった悲しみ、そういうものがあるような気がする。

 彼がマスコミに見せる顔はおとなしそうに見える、しかし心の中の嵐は微妙に陰影を顕すようだ。能の仮面のように、光の当て方によって様々に語りだす。

 カラー変更さえしなければ、ここまで踏み込むことも無い話だが、やはり、若者の心を傷つけた責任は取らなくてはな。

 /16 “楽天的”の意味U(ゴンタでしたV)

 

 アメリカの小学校でどうして無事に溶け込めたのだろうか、凡人は怖気づくものだが、彼はごんたであったから先手必勝実力でクラスメートをねじ伏したのだろう。この成功体験が彼の行動の基本方針となったのではないか。機先を制すること、「決定事項」で押し切ってしまう。大学で「学ラン」を着てキャプテンになる、銀行に就職するには都合がいいな。彼の行動は計算づくで「宣伝効果」を狙うところがある。だから、今の彼の行動も、未来に向けた「宣伝効果」なのだろう。

/19 “楽天的”の意味V(根性が曲がっている)

中学は親父が「おまえ根性が曲がっているから、寮に入って叩き直してもらえ」と、岡山県にあるスパルタで有名な私立中学に入れられた。中学のくせに毎年必ず落第生が出るくらい厳しい。英語のテストで80点未満だと、マイナス5点ごとに竹刀で一発ずつ尻を叩かれる。学校が終わっても平日は夜7時から11峙まで、寮の勉強室で自習しないといけない。でも、そんなにイヤだとは思わなかった。ただ、成績がねえ。最初40中30人番くらいだったのが、気がつくともう後がない。
 それで落第する前に辞めちまおうと、2年生の夏に帰省した時、親父に言った。3分くらいで話が決まって、10分後には親父が理事長に電話して、「うちの息子、辞めるゆうてますから辞めさせますわー」。そういうわけで、ぼく中学を一度中退してるんです()。(アントレ、99.11月号、企業家たちの軌跡)

 

 この記事は99年暮れで、楽天のHPで紹介されていたから信憑性は非常に高い。彼自身も自分が「ごんた」であったと認め父も「根性が曲がっている」と認めていたわけだ。そして、今まで彼の言動を見ているが、「心を入れ替えた」というような発言はない。つまり、中学のころの「根性」をまだ堅持している可能性があるということだ。人間は成長していくもので、若いころは「性根」が座らないものだ。

 ここで、私の持論だが、「経営者として問題がある」というのがここだ、心正しくなければ、道を踏み誤る。「カラー変更問題」で彼の危うさを見たわけだ。彼の言動を見ると、言うことが微妙に変化する、心が定まっていない証拠だと思われる。孫正義のように王道を歩む決意を持てばおのずと道は定まるだろうが、「仕組み」にこだわるようでは、すなわち危うしだ。

 私の見るところ、彼の運勢は急激に落ちているように見えるが、どうなんだろうか。野球、サッカー、金食い虫を金のなる木にするには、莫大な投資が必要だろうが、前線は延びきってしまい、孫正義に資金源を断たれてしまうのではないだろうか。杞憂であることを祈るよ。

/21 “楽天的”の意味W(気合が足りんのじゃあ!)

地元の中学に転入した三木谷はテニスに打ち込むようになる。勉強は国語や社会こそ嫌いだったものの、理数系の科目は好きだった。もっとも腰を据えて勉強したのは高校受験前の三ヶ月間だけだったという。それでも、めでたく名門・明石高校に合格。

 高校に入ってからはやっぱりテニスで、学校が終わるとテニスカレッジに通う毎日。ジュニアで関西のベスト16くらいまで行きましたかね。授業は2年の途中までまともに聞いていなかった。成績は400人中250番くらいだったから、テニスのプロになるが、就職するしがないなと思ってました。ところが親父はぼくを医者か歯医者にしたかった。これから老人が増えて、歯医者は食いっぱぐれがないという、経済学者の見通しで。それでまた親父ハメられて、最後の大会で優勝できなかったら、大学へ行けと約束させられた。案の定、ぼくはその大会でハリキリすぎてか足がつって、優勝できなかった。親父の思うツボですよ。
 それで勉強をやりだしたんですが、特に理数系の科目はきちんと答えが出るから、やっているうちに勉強って面白いなあ、と。成績も2ヶ月で10番以内に入るようになって、最後には1、2番になった。ぼくは短期集中型なんですよ。でも医者はなあ、何となく暗いなあとか思い始めて。祖父が一橋大から三菱商事へ進んだ人だったこともあって、世界を駆ける商社マンもいいと思ったり。医者か、歯医者か、一橋。結局、一橋を受けたけど最初の年は落ちました。「気合が足りんのじゃあ!」と親父にどつかれちゃった。(アントレ、99.11月号、企業家たちの軌跡)

 

 そろそろ、彼の二面性を論じることが出来そうだ。論証しよう。

 私に子供が出来たとき、或る小学校の教頭先生だったか、「子供をどつくのは小学校二年生まで、それ以降は止めたほうがいい。何故なら、小学校高学年ともなると精神的にはもう大人だ、どつくとひねるだけだ」、こう云われた。

 努力しないで大学に落ちたのなら仕方ないが、試験には運不運がある。結果だけを問題にしてはいけない。どつかれる子供の心は傷つくな。平然と、何もなかったように言ってのけるところに、問題がある。人間は、悩むべきときに悩むことだ。男の子は父親をなんらかな形で乗り越えていかなくてはならない。彼は母親のことも語らない、父を教育者というが、愛しているのか、憎んでいるのか、表現しない。判断停止しているようだ。

 おとなしい顔でテレビには出ているが、「決定事項」という刃をだす。これが、二面性といわずにおれようか。血の色も、この辺から出てきたようだ。

/23 “楽天的”の意味X(科学的な根拠なんかありません)

翌年、一橋の商学部に合格して、すぐ体育会のテニス部に入部しました。しかし、同好会化したムードがイヤでね。2年の時に関東学生テニスリーグの3部から落ちたんですけど、みんな「しかたないよ」みたいなムードでね。それでプチッと切れた。体育会でスポーツしているのは、真剣に勝負して何かを得るためではないのか!と。遊ぴなら同好会でやればいい。それで、ぼくがキャプテンになってから、練習量をそれまでの倍に増やした。朝の8時半から夕方6時半までというのを半年間続けました。科学的な根拠なんかありませんよ。でもムードを変えたかった。もちろんそれを言い出した手前、ぼくは一番プレッシャーがかかりましたけど。結局、あと一歩のところでリーグ昇格はできなかったんですが、すごい充実感はありました。辞めた人間も多かったけど、入ってくる者も意外にいて、みんなでバンカラできたのは良かったですね。(アントレ、99.11月号、企業家たちの軌跡)

ばん‐カラ【蛮カラ】

[名・形動]身なり・言葉・行動が粗野で荒々しいこと。わざと粗野を装うこと。また、そのような人や、そのさま。「ハイカラ」に対する造語。「―な学生」「―を気取る」(ヤフー辞書)

 

 この記事では彼は示唆に富んだ言葉を残した。「プチッと切れた」、「科学的な根拠なんかありませんよ。でもムードを変えたかった」、「辞めた人間も多かったけど、入ってくる者も意外にいて、みんなでバンカラできた」これらを分析してみよう。

 「プチッと切れた」と表現したのは、「しかたないよ」に感情的に反発したと理解すればよいだろうか。だから、「科学的な根拠なんかありません」が「練習量をそれまでの倍に増やした」のだろう。そして、「辞めた人間も多かったけど、入ってくる者も意外にいて」、ここまでは、テニス部のキャプテンとしては良くある話だろう。

 「みんなでバンカラできたのは良かったですね」の意味をどう取ればよいのだろうか。この辺が三木谷氏が他の人と違っている点だと思われる。人間は服装を着る、自然と自分の趣味が出る、心も服装を着るんだね、特に心に秘密を持つものは迷彩を施した服を着たがる。

 彼は「わざと粗野を装うこと」が「良かったですね」と思っていたのだろうか。複雑な彼の心の内は彼自身も把握していないのではないのかも知れない。

 ここで、カラー変更問題に当てはめてみる。ヴィッセル神戸のコアサポに「プチッと切れた」ので、「ムードを変えたかった」から、「辞めた人間も多かったけど、入ってくる者も意外にい」るだろうとカラー変更を仕組んだ。この仮説はどうだろう。なかなか、よく出来ているだろう。自画自賛だ。

/25-3 “楽天的”の意味Y(父親の紹介で住友銀行の重役に会った)

バブル絶頂期の日本興行銀行に入行。最年少でハーバードに社内留学。

 

大学時代の95%はテニスに費やしたという三木谷。とはいえ、正しくは昼間の95%であって……ある夜、国立市のアパートに戻ってくると、前に女性の乗った車が駐まっていた。「マズイ」と思った三木谷は(※筆者注/なぜ『マズ』かったのかは、ついに不明)、友だちの下宿を泊まり歩き、あげくの果てに3年生になってから安全だろうと思って」学生寮に引っ越してしまった。といったこともありつつ、就職活動の季節が来た。テニスに明け暮れて出遅れた三木谷だったが、父親の紹介で住友銀行の重役に会い、結果的には内定をもらうことができた。しかも、さすがはバブルの絶頂期である。その後に三木谷は、日本興行銀行の就職担当者にも会うことに。

 

 親父が銀行を勧めたのは、金を扱うところなら絶対潰れない、とう考えで。ぼくもなるほどと思ったけど、それが間違いだってことは、今ようやくわかりました(笑)。興銀の人には会う前から、住友銀行に内定したことは言ってある。改めてことわると、その人が「内定は両方もらっておけばいいじゃないが。10月1日の解禁日に決めればいい」。へえ、面白いことを言う人がいるなあ、と。それまで興銀ってオヤジ的なイメージがあって、魅力を感じなかった。でも、その人ひとりの印象で、懐の深さを感じて。つまるところ興銀に決め、住友には謝りに行きました。「心が変わったのか!」「はい、変わりました」。今、住友銀行さんはうちのメインバンクなんで、あの時はホントに申し訳ないことを……。(アントレ、99.11月号、企業家たちの軌跡)

 

 まず女性問題について、様々な女性関係がマスコミに出てるが信憑性はほとんどないと思う。別の記事ではベンツと言ってたような気がするが、女に持てるということを言いたいんだろう。私は彼はシャイな男だとにらんでいるのだが、本当にもてるのならば、ホリエモンみたいに公式の場に連れて来てくれよ。「いや、さっきばったり出逢っちゃって」等と言えばいいんだから。

 どつく親に就職を頼んで断るというのが、三木谷氏の心のゆれだね、深層心理を彼は認識しているのだろうか。親に恥をかかせて復讐しようと言う面はなかったのだろうか。彼のみが知るところだが、俺だったら父に頼んだ以上住友だがな。

/27 “楽天的”の意味Z(91年に結婚)

興銀に入行した三木谷は、半年の研修の後、本店外国為替部の送金セクションに配属された。経営の最前線に関わる部署ではなく、事務方である

 事務と言ってもハンコ押したりしてるわけじやなく、オプション決済の仕組みをどうするかとが、お金のやり取りと契約関係の整理とか、そういうスキームを考える仕事。別にくさったりはしませんでした。ぼくはどこに行ってもハッピーにやれるタイプなんです。ぼくは仕事熱心だったし、ハートは熱いし、何よりフットワークが軽かったので、行内の評判はわりと良かった。そんなこともあって、ハーバードビジネススクールへの社内留学生候補にも推してもらえた。同期の40〜50人が試験を受けて、そのなかでぼくひとりだけ留学できることに決まりました。もともと行きたかったんですね。というのも、親父の関係で神戸の実家にハーバード大学の教授である、ジェフリー・サックスやベンジャミン・フリードマンといった世界的な経済学者が訪ねてくることがあったから。みんなですき焼きなんぞつついて「コレハ、ウマーイ」とか一言いながらビジネスの話をする。それが面白い。そもそも「世界を駆ける商社マン」志向で、国際的なビジネスヘの憧れはありましたから。91年に結婚して、かみさんと一緒に渡米しました。(アントレ、99.11月号、企業家たちの軌跡)

 

 彼は「くさったりはしませんでした」が、「もともと行きたかった」ハーバード大学に行くことにした、「そもそも『世界を駆ける商社マン』志向で、国際的なビジネスヘの憧れはありましたから」、つまり、針路変更したわけだ。

 頭取を目指すのであれば、財界、興銀の重役の令嬢と結婚するはずだと思うが、一ツ橋出身で社内結婚となれば、もう未来はない。いずれは起業して、奥さんの協力を仰ごうという思惑があったのだろう。令嬢だと、事務などしてくれないもんな。ましてや、先方の親が列火のごとく怒るだろう。

 この項で指摘しておきたいのは入行してすぐに企業を決意したのではないかということである。

/29-2 “楽天的”の意味[(ビジネスマンは反射神経を鍛える)

ハーバードビジネススクールの授業は独特で、テキストを一切使わない。すべてケーススタディで、ある事案について分析し、アクションブランをたて、実行する‐‐そのプロセスを自分で考えて発表し、討論するわけです。毎日3件の異なる事案を渡される。資料は合わせてアントレ1冊分はあるかな。それを午後から読み始めて、真夜中までかかって自分なりに仮説、実行、検証する。それを翌日みんなの前で発表する。問われるのは論理構成の確かさです。他人の発表の時も、発言しないと落とされます。なにしろ完全な相対評価で毎回心ず10%は不可がつく。不可が通年で3分の1以上つけば落第ですから、クラスルーム内のコンペティションもキツイ。このスクールの目的は、いわば頭脳の肉体トレーニング。ビジネスマンとして問題に直面した時の、反射神経を鍛えるんです。(アントレ、99.11月号、企業家たちの軌跡)

 

 「仮説、実行、検証」、成功のコンセプトが出てくるが、「12・22 假面の告白\(起業家精神)」の項を参考にしていただきたい、起業家としての揺れが感じられる。とにかく、彼はハーバーとで理論武装したわけだ。それも、人の意見を参考にしたみたいだな。

/-2 “楽天的”の意味\(アメリカー周の旅)

厳しいけど、楽しい留学生活で、友人もいっぱいできました。そこでわかったのは、日本と違ってアメリカでは優秀な人間ほど自分で起業したり、見どころのある小さな会社に入る、ということでした。現に同じクラスのジョン・キムというすごい切れ者の学生は、もう自分の会社を経営してましたもの。かえってナンバー2クラスの人間が"I'm not a small company guy."ってわけで大企業に勤める。ぼくの人生観も、変わりましたね。
 2年目は少し楽になるんで、夏休みにはかみさんとふたりで車にキャンプ用品一式を積んで、アメリカー周の旅に出ました。子供のころ、親父が運転するワーゲンで家族そろってアメリカを回った思い出があって、ぜひやりたかった。40日間で30万円しか使わない旅ですが、アメリカの大きさを体感できたいい旅でした。日本ではバフルが崩壊して、興銀も例の料亭の女将への過剰融資でケチがつき始めていたんですが、実感はなかったですねえ。(アントレ、99.11月号、企業家たちの軌跡)

 

 相変わらず、「ぼくの人生観も、変わりました」「興銀も例の料亭の女将への過剰融資でケチがつき始めていたんですが、実感はなかった」、三木谷節だね。

 この項で注目は彼が何処を訪ねたかだ、多分リンカーンが「人民の、人民による、人民のための政治」と演説したゲチスバーグをたずねたと思われる。私の記憶では、地上戦の一日の戦死者の最大記録を出しているはずだ。アメリカの若者の血で川が赤く染まったそうだ。

 “all men are created equal,平等のために何人の若者たちの命が犠牲になったのだろうか、平等のためには戦わなければならない、厳しい現実だね、彼は語らないが、俺は行ったと思う。

/3 “楽天的”の意味](留学の借り)

93年5月三木谷はハーバードビジネススクールでMBAを取得し、帰国。本店・企業金融開発部でM&Aを担当する。当時、M&Aはまったくの下火で、興銀でも「案件なし」の状況だった。にもかかわらず、メディア関連担当の三木谷と、その上司のふたりだけは稼ぎまくっていた。彼らのクライアントにはソフトバンクの孫正義氏、パソナの南部靖之氏、カルチャーコンビニエンスクラブの増田宗昭氏など、日本を代表する起業家の面々が名を連ねていたのである。

ソフトバンクによる、コムデックスやジフデービスエクスポの買収を手がけたのはこの時期です。孫さんは、今でこそ日本のベンチャーの旗手として有名ですが、当時はソフトバンクの公開直後で、実のところぼくもよく知らなかった。けれども孫さんをはじめとする起業家たちのビジネスは、すごくダイナミックでした。自分の金をつぎ込みながらリスクをも辞さず。何としてでも得してみせるという迫力があった。ぼくはと言うと、独立の決意はしていましたが、それには興銀に留学の借りを返さなければと考えて、働き続けていました。(アントレ、99.11月号、企業家たちの軌跡)

 

 この時期、興銀の内部は相当荒れていたはずで、「留学の借りを返」すと言うような雰囲気だったのだろうか。それよりも、出来るだけ、知識、人脈、資金調達方法等を探っていたのではないだろうか。

 「留学の借りを返さなければと考えて、働き続け」る人ならば、神戸のために「白黒」を残すよね。

/5 “楽天的”の意味Ⅺ(人生は有限なんだ)

1995年1月17日。テレビのニュースは横倒しになった高速道路の映像とともに、阪神淡路大震災の発生を伝えた。夕方になってようやく通じた電話で三木谷は実家の無事を知った。しかし、子供のころ彼をかわいがってくれた叔父と叔母は、すでに犠牲者のリストに入っていた。

 須磨の公民館まで叔父と叔母の遺体を確認しに行きました。公民館のフロアに500体くらいの遺体かだーっと並んでいるのを見た途端、ショックというより、これはいかんぞ、と。それは人生は有限なんだと教えてくれる光景でした。自分は何をしているんだ。ズルズルやっていたら時間はたってしまう。リスクとは何だ?金や地位を失うことではない。後悔することではないか。会社を辞めよう、と思いました。その年の11月、ぼくは興銀を退職し、『クリムゾングループ』というコンサルティング会社を設立したんです。当初、ぼくが最も不安に思っていたのは、興銀を離れて情報が入ってくるかどうか、ということでした。しかし、時はまさにインターネット元年。Eメールを使えば世界中の友人たちから、実に精度の高い企業・産業情報を得られることが分かった。24時間以内にその道の専門家から、興銀時代より鮮度の高い、1件100万円、200万円の価値がある情報が手に入る。「クライアントからはすごいね三木谷さん」と感心される。数人で渋谷区のマンションの1室につくった会社でしたが、ディレクTVの立ち上げなど、大型案件に関わることができました。

 ただし、いつまでもコンサルティングの仕事を続けるつもりはありませんでした。主体性のある仕事ではないから。地ビール屋とかパン屋のチェーンとかいろいろ考えた。しかし一番魅力的なのはやはりインターネットビジネスでした。ネットワークを使って、知的な挑戦が続けられる。あきない商売ができそうだと思ったんです。(アントレ、99.11月号、企業家たちの軌跡)

 「誰も私に尋ねなければ、私はそれを知っている。だが、ひとたび尋ねられて、説明しようと思うと、知らないのだ」

 これは聖アウグスチヌスが「告白」の中で、「時間」について述べた文章である。(日経新聞、スポーツマンの矛盾、広瀬一郎)

 

 彼独特の言葉の迷彩から、「人生は有限なんだ」と「時間はたってしまう」そして「リスクとは何だ?金や地位を失うことではない。後悔することではないか」を抽出すれば、「命短し恋せよ乙女 赤きくちびるあせぬ間に 赤き血潮の冷えぬ間に 明日の月日のないものを(ゴンドラの唄)」、見事に血の色とつながった。

 もちろん我が妄想ではあるが、理論としては十分成り立つと思う。(スピード、スピード、スピード)も理解できる。もしそうであるのならば、やはり、付いていけないな。何か、トラウマがあるのだろうか。父親、海外生活、進学校等見てきたが、複合しているのではないだろうか。

 「時間」とは聖アウグスチヌスが「告白」したように、人間には理解不可能なものであろう。時間が直線(人生は有限)と思うから悩むのであって、時間は円環(人生は無限)と思えば解脱である。時間は直線という理解は現代人の多数意見であって正解ではない、高野山では弘法大師は生きているし、輪廻転生を信じている人々も多い。

 金の力でカラー変更をしたところで、金は復習するだろうと思う。「WHAT IS MONEY?,TIME IS MONEY」。

 今日は、このへんで。

/7 “楽天的”の意味12(資金6千万円の謎)

クリムゾングループで稼いだ資金6千万円。これを資本にインターネットで何をやるか。三木谷が目をつけたのは、エレクトロニック・コマース(EC)。ウェブ上のバーチャルモールであった。インターネットショッピングモールは、96年あたりから、大企業も参入して鳴り物入りで登場した。しかし、その後は鳴かず飛ばずで、撤退も相次ぎ、お世辞にも魅力あるビジネスとは言えなくなっていた。三木谷はまず1か月かけてウェブ上のモール2500店舗をネットサーフィングし、データベース化してみた。結論は「つまらん」。けれども「いける」。

(中略)
>
 そして、最後に成否を握るのはインプリメンテーションのうまさです。ただ、ぼくたちには技術的ノウハウがなかった。さいわいクリムゾン時代にパソコン教室もやっていて、そこで縁のできた優秀な技術系の学生さんたちに、システムづくりは協力してもらって97年の6月からモールのサービスを開始しました。ネーミングは信長の楽市楽座にならって楽天市場としました。商人が集まって町ができるように。もちろん「オプティミスティックに」という意味も込めて。(アントレ、99.11月号、企業家たちの軌跡)

 

「1/10−2 井上氏と増田氏(知恵と金)」の怪情報と「クリムゾングループで稼いだ資金6000万円」を眺めると、確かにクリムゾングループで6000万円稼いだというのは苦しいような気がするな。マンションの部屋を事務所に使って、「パソコン教室」をやるような会社が6000万円も儲けたならば、当時から話題になったはずだがな。

 また、「システムづくりは協力してもらって」というけど、中学の校長になった人が作ったんじゃないのかな。

 そして、97年2月「M D M 設立、99年に「楽天」に変更だが、意図的に間違ったのかな。とにかく、彼の言葉は、注意して聴く必要がある。

/10 “楽天的”の意味13(新しいインターネットビジネスに挑戦)

ぼくは事業展開をだいたい3段階で考えてきました。ステージ1は店舗数100程度、すると出店料が月500万。それで養える従業員は5人。ステージ2は1200店、従業員50人。来年春を目標に株式会開できれば完了です。1200店は今年中にいけるでしょう。そこまで来れば一気に伸びる。ステージ3ではモールにこだわらない、新しいインターネットビジネスに挑戦するつもりです。競合は気にしません。このビジネスでは、競合に気をとられて浮足立つというのが一番危険。ぼくはあくまでユーザーの方を見て、ロングタームでバリューのあるサービスを提供してゆきたいんですね。(アントレ、99.11月号、企業家たちの軌跡)

 

 99年の段階では「ロングターム」(長期)という言葉を使って健全な考え方だ、これが、公募増資あたりを境にして、変化している。何があったのか、いずれ判るだろう。

 「ユーザーの方を見て」いれば、「カラー変更問題」は無かっただろう。

/13 “楽天的”の意味14(永遠ではあり得ない)

米国の有力ベンチャー誌『レッド・ヘリング』ば、99年の「トップ10アントレプレナー」に日本人として唯一、三木谷を選出した。同誌は彼を「カウンター・カルチャリスト」と呼ぶ。ベンチャーに冷たい日本で、困難なネットビジネスに果敢に挑戦し、成功させたという意味である。だが三木谷本人は、決してやみくもに意地を張って、既存の権威や常識に牙をむくタイプではない。目的のために必要なものは受け入れ、不要なものは拒む。彼はエリートであり、ゴンタクレであり、理系であり、体育会系であり、理論家であり、ナニワのあきんどである。その多面性と柔軟性がアントレプレナー・三木合浩史を形成してきた。

ただしそんな彼も、こと日本の大企業の風土については、こう断言する。

 

 世代間抗争なんですよ、日本の企業は。上の方にとっくに役割を終えたお年寄りが余っていて、そのポジションを守るために可能性のある若い人たちが働かされている。こんな図式はもう成立しないですよ。そもそも企業自体永遠ではあり得ないんですから。ライフの終わった会社を守っても仕方がない。若い、一番フロントラインの人たちが、自分たちのために戦える土俵がなければ面白い会社じゃない。ぼくはそう思っています。うちの会社の社員の平均年齢は27歳ですが、みんなものすごく働く。ビジネスのトレーニングという意味では、ハーバードビジネススクールの授業より役に立つんじやないかと思うくらい。こちらは実戦ですからね。ぼくはこの新しい会社で、若い人を中心にビジネスの成功モデルをつくっていきたいんです。今年は初めて新卒を3人も採用を決めちゃいましたし。大丈夫かなって不安にならないこともないですが。ま、なにごとも楽天的に行きましょっ、というのがぼくの信条ですからね(アントレ、99.11月号、企業家たちの軌跡)

 

 「日本の大企業の風土」は「世代間抗争」と読んでいるが、考えてみよう。見てきたように、興銀では「頭取」を夢見たが、学閥、人脈に阻まれた可能性がある。彼には、父に対する屈折した感情がある可能性もある。それらを、「世代間抗争」と読み替えているのではないか。屈折した怒りが感じられる。

 また、「企業自体永遠ではあり得ない」のだから、楽天も永遠ではないことに気がついているのだろうか。オイディプスの愛した女は母親であったというような、運命のパラドックス、時間の呪縛、落とし穴を忘れているような気がするな。

 本当に、三木谷氏には悪いが、賽は投げられた、時間という審判がどう判定を下すのだろうか。

 

SEO ギフト 掲示板 レンタルサーバー ブログ SEO